東北のブナ林は、最終氷河期以降の気候温暖化に伴って本州を北進し約九千年前頃には東北地方の北部まで到達していたとされ、白神山地では約八千年前にはブナ林が覆っていたものと推定されている。これが現代までそのまま引き継がれていれば、まさにブナ原生林ということにはなるが、記録にある事例でも津軽藩政下の江戸時代中期には、都市部への薪の供給を計るための「流木山」としての利用がなされ、かなり奥地にまで人手が及んでいることがわかっている。
今でも容易に入りがたい奥の小さな沢に、細かく「名前」が付けられていて、これにより区域を指定した伐採が営まれたのである。また周辺には鉱山が開かれた歴史もあり、溶鉱のための炭を供給する製炭も奥地のブナ林で行われていた痕跡が認められている。近代の拡大造林の推進によって各地で多くのブナ林が消失してしまったが、ごく一部が保護林として残され現在は「緑の回廊」の要衝として相互に連結された取り扱いを行うようになっている。保護運動の焦点となった白神山地のブナ林は、青秋林道の開発取りやめから「森林生態系保護地域」への指定を経て、世界でも貴重なまとまったブナ林が分布する地域として世界遺産(注)に登録となった。
(注)陸上、淡水、沿岸、及び、海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本(自然遺産登録基準の2に該当)
世界遺産としての白神ブナ林生態系を適切に管理するために、95年11月には「白神山地世界遺産地域管理計画」が定められ、保全管理の基本方針として
▼世界遺産としての価値を損なうことのないよう、核心地域、緩衝地域の管理区分に沿って的確に保全
▼学術調査上必要な調査や長期にわたるモニタリング等を実施し、基礎的データの収集に努める−などとうたわれている。そこでこのモニタリングが推進されることとなった。
世界遺産という冠がついたために白神山地の人気が高まり、盛りだくさんの観光ツアー企画などが押し寄せている現状であるが、地元青森県・秋田県が平成13年10月7日に作った「白神山地憲章」で掲げた「貴い遺産が伝えられたことに感謝し、一人ひとりがルールを守り、ブナ天然林の美しさを残すため、ベストを尽くしましょう」の理念と調和した利活用が今後いっそう適切になされて行くことが大きな課題となっている。
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