社団法人 東北地域環境計画研究会事務局


公開講演会の紹介
土が語る 早池峰山の古代と現代
「森と緑の研究所 副所長」 照井 隆一
  早池峰山といえば、必ず蛇紋岩と言われる。非常に硬い岩で、超塩基性岩と分類され、その風化も表面から始まり、すぐ粘土に変わってゆくという、他の岩石にないような過程をたどる。また成分的には蛇紋岩はマグネシュウムを多く含み、他に鉄、場合によってはクロームも含む。

 ところが今回早池峰山を調査してみて驚いたのは、蛇紋岩に由来する土がさっぱり見あたらないことだった。頂上のお田植場付近は草本が主体の植生で、頂上から中岳に向かうとハイマツが主体になる。頂上付近には降下した火山灰もそのままの状態で残っている。小田越登山道の山腹斜面では、降下火山灰が流れ、上からの土との混合もある。今回15地点について調査したが、そのうち頂上と中腹と小田越の3地点について述べてみたい。 

 13,000年前には、(1)小岩井浮石火山灰(秋田駒ヶ岳噴出)、(2)分かれローム質火山灰(前同)、(3)早坂浮石(雫石町早坂)、(4)安家火山灰…と、3,000〜4,000年間隔で大別して4回の火山灰降下があり、早池峰山の土壌母材料として残っている。

 頂上の東側付近に、土層がはっきり判別できるガリーを見ると、厚さ20センチほどの黒色泥炭、褐色泥炭の下に、グライ班が出ている。以前にミズゴケ由来の泥炭が成長していた時代があった証拠である。どうして湿地ができたのだろう。それは水が抜けないからであり、水が抜けないのは、永久凍土に似た凍結層があり、雪解け水がたまって池塘(ちとう)となったあかしである。蛇紋岩は一番下にあるが、この蛇紋岩の下にも火山灰の土層がある。これを拡大してみると、黒色泥炭と、さらに、白色の粘土と火山灰の層とを挟んでその上に、もうひとつ黒色泥炭が発達している。

 この泥炭層はいつごろの年代にできたかを知るため、専門機関から炭素放射年代を計測してもらった。その結果、一番下は、今から3,120±50年と出た。その上は1,100年前ということで、だいたい2,000年間にわたってミズゴケ主体の泥炭の生産されていたことが明らかになった。厚さ20センチで2,200年ということは、1ミリ発達するのに12年かかっているということで、泥炭層の発達速度としては非常に遅い。凍結や積雪期間の長かったことがうかがわれる。

 また、頂上から800〜1,000メートル付近、中岳の稜線で注目されるのは白い層が出ていることだ。下には赤みの強い黒色層がある。これは低温と乾燥のためハイマツ落葉の分解がスムースに行かず、植物の酸で洗われた土中の鉄分などが溶けて洗い流されたもので、分類上ポドソルと呼んでいる。シベリヤとかカラフト、カムチャツカなどではごく普通の土で、つまりはここが、そういうところに似た気候だったという証明になろう。

 それともう一つ注目したいのは、ここにも出てくる火山灰の層があるということだ。火山灰の他に、蛇紋岩の細礫(れき)が噴き上げるように上昇している。周氷河期という時代に、凍結と融解との繰り返しがあった。土中の水分が凍結して盛り上がる際に、下方にある石も一緒に盛り上がり、融けるときは石はそのまま…という動きによって、下方の石が上方に押し上げられてしまう。それが「周氷河現象」というものである。火山灰がある程度厚く堆積すると、こうした影響は現れなくなる。

 こういう地帯では、雪の多少も周氷河現象に大きな影響を及ぼす。おそらく早池峰山の頂上は火山灰が堆積する以前の周氷河現象であり、その時代は、現代よりも積雪が少なかったものと想像される。これらのどの層も、ずっと掘ってゆけば蛇紋岩の風化土層が出てくるかも知れないが、少なくとも現在の早池峰山の土層を支えているのは蛇紋岩ではなくて火山灰である。

 早池峰山の北側、小山川の上流アイオン沢に行く途中の道路法面に、蛇紋岩土壌が流されてきて2次的に堆積した露頭があり、ここには植物が生えていない。この上に乗っている厚さ2メートル程の火山灰土壌には植物が育っている。こうした状況を見ると、蛇紋岩風化土壌だけで果たして蛇紋岩植物なるものが育つかどうか疑問を抱かせる。

 南海の汽水域で育つマングローブは、塩分が濃くなるにつれて生育が鈍くなる。これと同様な相関が、早池峰山の蛇紋岩植物における蛇紋岩とマグネシュウムとの関係にひそんでいる気がしてならない。



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